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プロがプロに聞く経営の話
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 問題意識があればチャンスはつかみとれる
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Guest   トヨタ自動車会長 奥田 碩
Host オンキヨー会長 大朏直人

奥田 碩(おくだ・ひろし)氏
1932年12月29日生まれ。55年3月一橋大学卒業。同年4月トヨタ自動車販売入社。82年7月トヨタ自動車取締役。87年9月常務取締役。88年9月専務取締役。92年9月取締役副社長。95年8月取締役社長。99年6月取締役会長。日本自動車工業会会長。日本経営者団体連盟会長などの公職も務める。

大朏 直人(おおつき・なおと)氏
1941年東京生まれ。65年駒澤大学文学部卒。同年4月、ラジオ部品メーカーに入社後独立。電子機器製造の日本電通を設立、社長に就任。85年、自動車部品メーカーの丸八工場(現テクノエイト)の再建を契機に、4社の再建に成功。93年6月に東芝傘下のオンキヨーを個人で買収、1年半で黒字経営に転換した。現在、12社の企業集団を率いる。

日本の経済界を代表する経営者として海外からも高い評価を受けている奥田碩氏。連結売上高13兆円企業のトップはどんな日常を送っているのだろうか。トヨタと日産の一番の違いはどこにあったのか。「豊田家を旗印として社員が結束したこと。カネの大切さを身にしみて知らされた過去の経験。この二つがトヨタ成長の原点」と奥田氏は語った。 


■ トヨタと日産はエネルギーを向ける方向が決定的に違う

大朏 トヨタ自動車と日産自動車はみるみるうち、決定的に差がつきましたね。中堅・ベンチャー企業の将来のためにも、注意すべき点を含めてその理由をお話しいただけますか
奥田 日産は都会型の労働者、トヨタは地つきの労働者という違いがありました。労働組合との交渉という意味ではトヨタのほうが有利だと昔からよく言われていました。それから企業のキャッチフレーズで「技術の日産、販売のトヨタ」という言葉が昔からありましたが、「技術の日産」という言葉には「いいものをつくってやっているんだ」という響きがあり、ちょっと奢りが出たのかもしれません。うちの場合は「販売のトヨタ」ですから、技術以前に、お客さんが買ってくれない商品をつくるのは許されなかった。
大朏 私どもは自動車関連の仕事も手がけていますが、日産とトヨタではエネルギーの使い方が違うと肌で感じています。そのひとつは派閥争いがトヨタには見当らないことです。日産は幹部の権力争いにかなりのエネルギーを費やしてきた気がします。いい商品をつくろう、売り方をこうしようというよりも、まずポジション争いにエネルギーが向かってしまった。それと反対に、トヨタにはポジション争いはないですね。
奥田 これは面白いことで、どんな人間の集団にも求心力というものがなくては組織は動かないんです。国会、会社、学校すべてですね。そのために組織には旗というものがある。インパールの敗戦のとき、兵隊は旗を腹に巻いて最後まで逃げてきたといいます。人間の集団には旗が必要で、その下に人間は集まり、生き、死んでいくのです。この旗が言い換えれば求心力というものでしょう。
大朏 その旗、求心力の下で正しい方向にエネルギーを向けている点がいいのでしょうね。奥田さんは豊田家以外から初めて社長になった方ですが、あの時期にそうした形が生まれたのも、いいことだと思います。企業というものは最初はワンマンでよくても、いつかはワンマンではいけない時期が出てくる。そこをまちがえるを失敗していく。そこがトヨタと日産の違いだと思います。
奥田 確かにトヨタは派閥争い、ポジション争いがないからいいね、とよく言われます。そういう意味では豊田家は求心力なのでしょう。その下でみんなが働き、生き、死んでいったという歴史がある。豊田家はひとつの旗であり、求心力。それが日産にはなかったから、いたるところに派閥ができ、派閥争いの中でいろいろな人が倒れていった。そういうロスはあったと思いますね。
 
大朏 小さい会社がどんな旗を持つか、小さければ小さいほど社長がどんな旗であるべきか、しっかり考えなければなりませんね。
 
奥田 そう思いますね。子が親の背中を見て育つのと同じように、社員は社長の後ろ姿、つまり旗を見るわけだから、社長の存在感は大きい。それを間違うと会社が変な方向へ行ってしまいます。社長はそれだけの責任感や役割を持って仕事しなきゃいかん。それが一番大事なことでしょう。
大朏 社長になること自体はある意味で簡単ですが、そのあとが大事なのですね。
奥田 ある時期までは社長は独裁者であるべきです。そしてある程度レベルが上がってきたら、独裁をやめて、別の組織としてやっていくことです。創業期の社長は独裁であることが絶対必要だと思いますよ。


■ カネのない苦しみを知ったときトヨタのDNAは変わった

大朏 トヨタというのは、いつも危機感のようなものを感じさせる手法を取ってきましたね。たとえば円高対応をすごい勢いでやって、もっと円高になったとき、今度は何と言うのかと思ったら、緊急対応と言ったでしょう。すごい言葉を使うものだと思っていました。
奥田 そうでしたね。
大朏 今、日産のカルロス・ゴーン(最高執行責任者)さんが系列の仕入先から20%の値引きをして物を買うと言っていますが、何を今さら、という気がしますね。怖いのは、日産そのものがつぶれることでなく、日産の下請け企業が資金繰りをしようとしたとき、銀行が警戒してカネを貸さないことです。そのために、下請け企業がもしつぶれたら、そのとたんにラインが止まるわけでしょう。
奥田 そのとおりです。
大朏 そうなると、ほかのメーカーの下請けも一気に納入ができなくなる。そういう危うさの中にいるわけです。トヨタといえども、過去には非常に危ない時期もありましたが、危機回避の部分で、ものすごいエネルギーのある集団だと感じるのですが。
奥田 トヨタでは1950年、労働争議が起こるくらいに経営が非常に苦しくなり、朝鮮戦争特需でやっと危機を免れた歴史があります。そのときトヨタの幹部はカネのない苦しみを身にしみて知り、それ以来、明日すぐにカネになる、キャッシュを持つ会社運営をすることに決めたんです。
 
大朏 大変苦しい時代だったんですね。
 
奥田 そのときトヨタのDNA(遺伝子)は変わったと言われています。カネがなきゃどうにもならん、という哲学が生まれたんですね。カネがたくさんあれば、よいことをする余裕も生まれる。今でも常時そういう気持ちでいますよ。小さい会社もカネの面で苦労していると思いますが、カネというのは湧いて出てくるものではない。カネを借りるときには返せるかどうかを考え、もし返せなかったら首を吊って死ぬくらいの気持ちでないと、借りるべきではありません。
 
大朏 バブル経済崩壊で、借金を返せないケースが多くありましたね。
奥田 カネを返せなくなって、もっと土地や株が上がると思っていたなどとエクスキューズ(弁解)をする人がたくさんいましたが、カネを借りるハンコをつくとき、どの程度の責任を感じているかが大事なんです。それが物事の根源です。いろいろな意見があるでしょうが、私は結局、悪いのは借りた人間だと思う。野放図に銀行からカネを借りて、あとになると返せない、でも知らねえよ、なんていうのは、なっていない。そういうのを見ていると、日本人の中に昔のサムライ精神がなくなったと思いますね。トヨタはたまたま五十年前にそういうことがあって、明日のカネが払えないのがどんなにつらいことか身をもって経験し、それを乗り切ったわけです。


メーカーは物づくりに賭けるべき不器用はいいことだ

大朏 私はバブルのとき、あのNTTの株さえ買いませんでした。銀行はカネは貸す、工場を建てろ、としきりに言ってきましたが、うちは物づくりの会社でそれしか能がないんだから、株なんか買わないと言いました。あとで「あのとき買っていたら、今日二百万円もうかったのに」なんて言われましたが、一度言った手前買うわけにいかなくて・・・・・・。最後の頃、やっと買おうかと思ったら、バブルがはじけたんです(笑)。
奥田 それは大朏さんが偉かった。経営理念を持っている会社というのは、経営者がそういう信条を持っているんです。うちはたまたま豊田英二(トヨタ自動車最高顧問)さんが、大朏さんと同じ考えでしたね。私が経理担当で転換社債の発行をしたとき、私などはどうせ株価が上がって株式に転換されると思っていたのですが、豊田さんには「もらったと思うな。これは借金だろう」と数十回言われましたね。あの人は大学を出て紡績をやっていたから、相場を手がけていて、カネの恐ろしさをよく知っていたんです。株などというものは高いときも安いときもあるんだということを教えてくれましたね。
大朏 確かにおっしゃるとおりですね。
奥田 物づくりの会社というのは、現場でみんなが一銭一厘のビス一本をおろそかにしないよう気を使い、汗を流しているのに、経営幹部が一度に何億円も得したり損したりするカネの運用をやっていたら、現場がおろそかになるし、働いている人もやる気をなくしてしまう。それでは、いい製品も技術もできない。両方うまくやっていくのは無理なんだから、物づくりなら物づくりでやっていくのが一番大事なことなんです。不器用はいいことだとよく言うが、そのとおりです。
大朏 奥田会長は故小渕前首相の主宰する「ものづくり懇談会」の委員として提言もしていらっしゃいますね。
奥田 あれは小渕さんに対する最後の提言になりましたが、その結論は「物づくりは人づくり」というものでした。物をつくる人間が浮気をしてはいけない。若い人が物をつくれなくなったというが、それは教育の問題のほかに、周囲の「俺はいくらもうけた」などという雑音のせいもあると思います。人間だから、そちらに考えが向いてしまって、力が入らないということがあるんです。でも、それを失ったら、物づくりとして立っていけません。だから最近の日本ではロケットが落ちたり、トンネルが崩落したりする。頑固なまでに物をつくるという姿勢を会社は持っていかなくてはならないんです。
大朏 トヨタの中には、ものすごく徹底的に合理性を求めている部分がある一方で、各工場に匠工房を持っていますね。火花ひとつ飛ばしても、そこにマンガンがいくつ含まれているかわかる、溶接はこうだ、旋盤はこうだ、ということを未だにしっかりやるという両面性がある。一般市民はトヨタには職人的な人はおらず、すべてオートメーション化されていると思っているかもしれませんが、本当は匠の職人がちゃんと仕事しているのを見せてもらえるんですよね。これは物づくりの原点です。これはトヨタのDNAとして残していくのですか。
奥田 そういう分野は減っていくと思いますが、残していかざるを得ないでしょうね。提言書にもありましたが、人間の知恵には暗黙知と形式知があります。暗黙知とはマニュアル化できない一種の匠のノウハウ。形式知はマニュアル化できるものです。人間の知恵をITなどでコンピュータ技術に転換していく部分は増えていくと思います。でも、やっぱりゼロになることはない。暗黙知=ノウハウは最後まで残っていきます。
 
大朏 それは海外への技術移転などの問題にも関係してくることでしょうか。
 
奥田 そうですね。外国では同じ材料、同じ機械、同じ条件で物を持ち込んでも、暗黙知がわかっていないことが多い。それは汗と努力で身につけるものです。図面渡して、この材料使って・・・・・・ということは教えられるが、ここはこうするんですよ、温度はこうで・・・・・・といくらいっても理解してもらえない部分がある。それを向こうは核心部分を教えてくれない、技術移転をしていないと怒るわけです。
大朏 難しいところですね。
奥田 戦前のトヨタの工場を映したフィルムが残っているので、それを東南アジアの人などにもっと見せるように私は言うんです。当時は湯温を見るにも、指を湯に突っ込んで見ているんですよ。うまい天ぷらをつくる職人も、天ぷら油で同じことをやるでしょう。そういうことが世界ではもちろん、日本でも減りつつある。でも、それができるのは人間の力しかない。ITでやればいいといっても100%はできないんです。


■ 行く先々で問題が起こる運命なのか性格か

大朏 ところで、日経連と経団連の合併について、うかがいたいんですが、このふたつを一緒にしようというアイデアはどこから出たのですか。
奥田 私も以前から個人的に問題意識は持っていましたが、現実に一緒にしたほうがいいと言い出したのは、私たちよりもっと年上の人たち。自分たちがやってきておかしいと感じたことを、私にぶつけてきた、というわけです。
大朏 なるほど、そうだったんですか。
奥田 私は運命論者じゃないが、私が行く先々で問題が出るんです。結果的に自分自身が問題の中へ突っ込んでいくのかもしれない。恐らく自分で問題の種をつくっているのでしょうね。とにかく若い頃から自分が行くと、そのポジションに問題が起きて、あまり平和な人生ではないんです(笑)。のんびりしたいなあ、と思うけど、させてもらえない。自分の性格なんでしょうが、今までやってきたことを、そのままの状態で見過ごすことができないんです。よく社員に何でもいいから物事を変えろ、と言うんです。物を変えないのは悪いことだ、何でもある物を否定してかかれ、と。だから問題が発生するのでしょう。
大朏 奥田会長は以前、アメリカの格付け会社にも怒っておられましたね。アメリカの格付け会社の文化で一方的に日本の会社や文化をはかるのはおかしい、と。特に終身雇用があるからダメだというのはおかしいと、向こうに抗議までされた。これはわれわれにとっては非常に快感で、嬉しい思いをしたのですが。
奥田 ああいうのは解釈の差だね。格付けもそうですが、終身雇用と長期雇用をまちがって受け取っている。そういうところは違うよ、と言わないと。結局、それで格付けは落ちませんでしたね。話せばわかるんです。お互いわからないところをそのままにしておくのは、よくない。一軍を率いる経営者にとって、そうした白黒をはっきりさせるのは大事なことですよ。
 
大朏 向こうの財界の人たちも、ソニーの盛田さんに続く感覚で、「ミスター・オクダはすごい」という表現をしていました。それもわれわれにとっては気持ちのいいことでしたね。国内でももちろん、奥田さんを後継者に選んだ豊田章一郎さんの評価も上がって、いい状態にきていますね。
奥田 あ・うんの呼吸というものがありますが、章一郎さんと私はあ・うんの呼吸がよく通じ合うんです。だから、あの人の顔を見たら、何を考えているかすぐわかる。もちろん、どういうスケジュールで、どんな人と会って・・・・・・ということはふだんから耳に入れておかないといけないが、彼がこう言ったから、こうしよう、これはやるべきではない、とすぐわかるんです。だから、よく言われるんですが、激論を戦わせるようなことはないですね。極めて自然にやれる。ひとつの運かもしれないが、そういう関係ですね。


■ 睡眠時間は5,6時間朝7時半には会社にいる

大朏 ところで奥田会長は、われわれが見る限り、ほとんど公人の部類に居られる場面が多いと思いますが、公人としての時間が多いと、思ったことも直截的に言えないし、いろいろ気を使ってストレスがたまるのではないですか。
奥田 そうでもないですね。慣れですよ。一日のスケジュールを見て、それによって頭の中で組み立てておけば、しゃべることは決まってきますから。
大朏 この雑誌の読者は小さな会社の社長が多いのですが、彼らは日本一の、そして世界のボスがどんな生活をしておられるか興味があると思います。奥田会長は読書家としても知られていますが、新幹線の中くらいでしか本を読めないのではないですか。想像を絶するお忙しさだと思うのですが。
奥田 人と違うことをしているのではないかと、よく聞かれるのですが(笑)。季節や時期によって違いますが、睡眠時間は約五、六時間。朝起きるのは、だいたい六時頃ですね。豊田にいるときは七時半には会社へ行っています。
大朏 それは早い。
奥田 アフターファイブは月曜日から金曜日までパーティや宴席が入っていますね。新幹線や車の中で本を読んだり、歌を聴いたり、人の講演会のテープを聞いたりします。人の講演は非常にためになりますね。
大朏 公人としてのお立場で、もう少し本当の意味での規制緩和を進めていただきたいと思っています。私は大学に関係する仕事をしているんですが、大学を卒業して企業に来ても、何も役に立たないことがほとんどです。そこへいくと、アメリカではよくも悪くも、そこそこの者がいる。でも日本では電話のかけ方も挨拶のし方も、すべて企業が教えなくてはならないんです。なぜ立派な社会人が育たないのか、最近わかりました。
奥田 それはどういう理由ですか?
大朏 アメリカでは入学するのは簡単ですが、出るのは大変。日本では入学するのは大変ですが、出るのは簡単です。その理由は、たとえばA大学は四年生が一万人以上いてはいけないからです。「あいつはダメだから卒業させない」という考えがあってもいいと思いますが、大学側としてはダメなやつでも出てもらって、新しい学生が入って入学金をもらった方がいいんですね。大学同士がもっと競争をしなければならないはずなんですが。
奥田 競争させなければ、いい人材は育たないからね。
大朏 たとえば文学部も工学部も人数は二千人。それで文学部を千人増やしたら、工学部も千人増やしていいなどという決まりがあるんですね。そんなことは大学に勝手にやらせればいい。文学部の役人にそう言うと「大学の研究が足りない」と言う。そうではなくて、もっと大学を自由にさせたら、絶対いい学生ができると思うのですが。
奥田 私も常々それは思ってます。競争に任せればいいと思いますね。大学を卒業するのを難しくするのはいいことです。本当の教育のための大学でなく、カネもうけのための大学になっているのがいけない。それをもっと突き詰めて考えるべきです。
大朏 文部行政は昔の護送船団方式をそのままやっているんですね。若者の人口がこのまま減り続けると、よけい競争力のない国民になってしまうでしょう。日本では警察が不祥事を起こすと警察の監察員を増やすとか、役人がワイロをもらうと監視人をつけるとか、すぐにそういう発想をします。しかし、それより大学でワイロをもらうのがいけないことであると、もっと善悪を教えるべきです。むしろ事業家が大学を経営して、いい人材をつくり出してくれたらいいと思います。
奥田 一度大学を出てから企業に入り、また大学に戻って勉強するという人も増えていますね。われわれは技術屋だから経営はわからん、文科系だから技術はわからないなどとよく言うでしょう。大学では確かに一生懸命勉強しなきゃいけないが、それはたった四年間のことです。会社に入ったら何十年もあるんですから、たった四年間専攻した学科に縛られることはない。その間に理科系、文化系両方のことを勉強することもできます。規制緩和と同時に、採用していく企業側の教育も必要です。



■ 常に問題意識を持っていれば必ずチャンスをつかみ取れる

大朏 では最後に、奥田会長が若い経営者に望むこと、指導したいことをお願いします。
奥田 私はそのときどきでしか自分の信条がないから・・・・・・(笑)。若い経営者に言いたいのは、坂本龍馬の言葉です。司馬遼太郎の本にあったのですが「たとえ切り刻まれて泥の中で死ぬときがあっても、死ぬときに必ず前を向いていたい」というのです。
大朏 それはいい言葉ですね。
奥田 若い人は絶えず前を向いていくべきであって、後ろを向いたら仕事にならんのです。死ぬときも前を向く姿勢を、若い人には特に持ってほしい。前向きでいれば、いろいろなことを変えることもできるし、取り込むこともできる。これは一番大事なことです。
大朏 なるほど。
奥田 それと、フランスの著名な微生物学者ルイ・パスツールが言っていたことなんですが、問題意識を持っていない人は、いろいろな機会、チャンスが目の前をどんどん通りすぎていても見えないそうです。問題意識を持っていないとダメなんです。問題意識さえ持っていれば、いくらでも確実にチャンスをつかむことができる。これは非常に大事なことですね。
大朏 確かにそのとおりですね。
奥田 ふだんから個人的にでも会社でも、情報をつかみ、チャンスをつくること。自分の目の前を走って行くチャンスをいかにつかみ取るか。それが最も大事です。それは「たとえ死ぬときも前を見ていたい」ということと裏表で、同じことでしょう。そういう積極性を持って仕事に取り組んでいってほしいと思っています。
大朏 私も自分に言い聞かせておきます。
奥田 いやいや、大朏さんはふだんからチャンスをつかみ過ぎているんじゃないですか(笑)。

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雑誌「企業家倶楽部」2000/8月号より転載。
本欄は(株)企業家ネットワーク様のご好意により実現したことを記し、謝意を表させていただきます。

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