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プロがプロに聞く経営の話
「志」があれば何でもやり遂げることができる
Guest   シダックス会長 志太勤
Host オンキヨー会長 大朏直人


オンキヨ−会長
Host 
大朏直人 Naoto Ohtsuki

シダックス会長
Guest 
志太勤 Tsutomu Shida

フードサービス事業で、業界を牽引するシダックス志太勤会長。幾多の挫折をものともせず、成功を勝ち得たその企業家人生は、まさに「裸一貫からのたたき上げ」と形容するに相応しい。カフェテリア、メディカルフード、レストランカラオケといった新機軸の事業は、同氏の熱い「志」から生まれたものだ。これまた「ベンチャー界の風雲児」と呼ぶに相応しいオンキヨーの大朏直人会長兼社長が、志太の執念の経営に洒脱な切り口で迫った。


■野球少年 夢破れる

大朏 志太さんの活躍はよく耳にしています。まずはどんな少年時代を送られたか話していただけますか。
志太 典型的な野球少年で、村で一番と言われていたほどでした。将来はプロ野球選手になるのが夢だったのですが、 高校2年生の時「多発性関節炎」という病気になってしまった。ベッドに横になって、両手両足を天井から吊されて、医者から「もう一生野球はできません」と告げられたのです。 当時は野球以外の人生は考えられなかったので、ああこれで人生終わりだと思って、熱海にある自殺の名所に行った。
大朏 ありますね、自殺の名所が、そんなに思いつめられたのですか。
志太 絶望して、どうやってそこまでたどり着いたのか憶えていないのですが、気がつくと熱海の錦ヶ浦海岸を歩いていた。 そのとき海岸管理をしていた人に「野球だけが人生じゃない、日本一の商売をやりなさい」と言われた。これが人生の転機になって、「よし、自分は日本一の商売人になろう」と心に決め、 高校3年生の時、学校に通いながらから商売を始めたんです。
大朏 商売の方では見事に日本一になられました。
志太 若い人には「お前は何になりたいんだ、志をしっかり持て」といつも言っています。 「志」をもっていれば、どんなことがあっても乗り越えられる。私は会社を2つ潰していますし、家や工場を火事で焼いてしまうなど、何度も挫折を経験しました。 そうしたとき乗り越えられたのは、「日本一の商売人になるんだ」という強い志があったからです。


■上京し知人宅に通う日々

大朏 今のシダックスの事業を始めるまでの経緯を聞かせていただけますか。
志太 最初は静岡でアイスキャンディの会社を経営していました。甘いものがない時代でしたから、アイスキャンディは飛ぶように売れました。 しかし工場を新設した1年後に火事ですべて焼けて、無一文になってしまいました。工場を作る際に、普通は銀行からお金を借りれば保険をかけるでしょう。 でも自分のお金には保険かけない。なまじっかお金があるといけないんですね。
大朏 なるほど。ある種の油断ですね。
志太 それから心機一転、東京に出てきて仕事を探すことにした。偶然降り立ったのが新宿駅だったのですが、 そこでの人波を見て、「この人たちから1円ずつもらったらそれだけで大変な商売になるな」と思いました。
大朏 東京には大きなビジネスチャンスがありますからね
志太 考えたのは、経験があった食堂のビジネスです。「これしかない」と思い込んで、 ある人のところに「仕事をさせてください」と通い続けました。相手にしてくれないので、13〜14回目通ったでしょうか。 ある日、その方の家の門前で帰るに帰れず、雨の中たたずんでいたら、奥さんが「可哀想だから」と家の中に入れて、熱いお茶を入れてくださった。 そこにご主人がやってきて、「志太くん君には負けたよ、仕事させるから」と言って下さった。
大朏 すごい執念ですね。
志太 この体験から、人というものは精一杯の努力をすれば必ず理解してもらえるのだ、と自分に自信が持てるようになった。


■野球を通じて次代を担う子供たちを育成

大朏 志太さんは硬球と軟球の中間の球を提唱されていると伺ったんですが。
志太 Kボールというものです。例えば軟式から硬式へ急に移ると、肩を壊してしまいます。 僕が高校に入学してだめになってしまったのもそのためです。この中間の球は日本野球連盟が開発したんですが、とても優れたボールで、 硬式の人と軟式の人が試合することができるんです。今ではだいぶ普及してきて、チーム数も全国で300くらいになりました。
大朏 そんなにあるんですか。
志太 日本Kボール少年野球連盟というものも設立して、先日、指導者講習会を開催しました。 この連盟にはきちんとした目的があって、1つは正しい野球を教える。もう1つは日本の次代を担う子供たちを養成することです。
大朏 野球で肩を壊してしまったのが、結果的には良かったのかもしれませんね。 一生野球をやれるわけではないですし、新しいボールを使って、新しい野球を普及させていく。それをご自身の事業の中でやっているんですから。 本当に何が人生変えるか分からない、経験を無駄にしてないということですね。


■カフェテリア形式の給食サービスが急成長

大朏 シダックスの事業についてご説明していただけますか
志太 "健康を創る"という経営理念のもと、総合フードビジネスを展開しています。 給食事業、レストランカラオケ事業、食材流通事業が大きな柱で、本体のシダックスがそれぞれの子会社を統括しています。 給食は企業や病院、学校などへのサービスで、1日に私たちの提供する給食を食べていただいているお客さんの数は、 2003年の実績では約49万食に達しています。カラオケは全国に265店舗を展開して現在最大手です。 2004年3月期の売上高は連結で約1400億円、経常利益は45億円です。
大朏 このところ外食産業では鶏はだめ、牛はだめで大変だと思いますが、シダックスにも影響はでていますか。
志太 もちろん影響はありますが、フードサービスには2種類あるんです。1つは町の人たち、つまり不特定多数の人たちへのサービスです。 もう1つは企業の社員食堂などの限られた人たちへのサービスです。そこでは1種類だけ、例えば牛丼だけを提供するのではなくて様々な料理を提供します。 鶏や牛が使えなくなっても、使える食材を駆使してお客様を満足させるノウハウをもっていますから、なんとか対応できるわけです。
大朏 すべての食材がなくなるわけではありませんからね。
志太 1品だけの商売では、社会の変化に対応できないことがあります。 しかし複数の商売をやっていれば、その時々でバランスをとりながらやりくりすることができます。
大朏 病院給食のメディカルフーズも大変伸びていますね。
志太 毎日、2、3種類の中からメニューを選択できるというサービスで、 そのどれを選んでも、その人の病状に合うように献立が作られています。
大朏 私なんか食事のカロリー計算なんてしたこともありませんから、個人の食事にもそんなサービスがあれば利用すると思いますね。
志太 日本で初めてカフェテリア形式の給食サービスを始めたのはシダックスです。 カフェテリア形式というのはいろんな料理を並べておいて、お客さんが好きなものを選べるサービス。 ある時、東京都から店を閉めるようにクレームをつけられたことがあります。病院で患者が勝手に料理を選べるようになると、 国が定める栄養基準から外れてしまうという理由からです。そこで二ヵ月間かけて、患者さんがどういうものを食べたかを追跡調査した。 そしたら驚くべきことが分かりました。人間の体はすごいもので、意識しなくても知らず知らずのうちに栄養バランスを採っているんです。 そのデータを栄養士学会が発表してからは、東京都もOKとは言わないまでも黙認してくれるようになりました。 そこから一気にカフェテリアが増えていきました。


■事業に集中するため社名を変更

大朏 どんな仕事でもそうですが、データを研究して、その分野を極めていくことが重要なんでしょうね。
志太 これも先ほどお話しした「志」に通じます。私は将来、必ず給食はカフェテリア形式になるという信念があった。だから徹底的に研究したんです。 そして社名まで変えてしまった。それまでは「富士給食」という社名だったのですが、まず「フジフードサービス」に変更して、次は「キャフトフードサービス」。 今後の給食サービスは絶対にカフェテリア形式になっていく、我々がそのサービスで日本一にならなくてはいけない、それにはまず社名を変えることが一番だと思ったんです。 そうすればまず自分自身がそういう気持ちになるし、社員もそういう気持ちになります。そしてお客さんも理解してくださる。社名は4〜5回変えているのは、そうした思いからです。
大朏 典型的な「名は体を表す」ですね。
志太 会社の沿革を調べてもらえば分かりますが、社名を変えたときに段階的に成長しているんです。
大朏 よく分かります。私もいくつか会社を経営していますが、確かにそうしたチャンスが何度かありました。
志太 その時々で一点集中するということでしょうね。 ブランドを考えると社名は変えない方がいいのかもしれませんが、私は社名を変えて成功してきました。
大朏 社名変更で「新しい時代に合わせた新しい事業に集中していく」という心意気を示して、社員やお客さんのベクトルを合わせるということですね。


■引退にむけて憲法を作成中

大朏 シダックスもご子息の勤一さんの代になって数年経つわけですが、代を譲る際に気を遣うこと、あるいは自分を律するやり方など、ありましたら聞かせていただけますか。
志太 最初から自分の素直な気持ちとして、やはり息子に会社を継がせたいという気持ちがありました。代を譲ってから5、6年経つのですが、 私は任せたつもりでも、彼は任せてもらっていないと思っているところがまだある。今年の秋で私も70歳になるということもあり、けじめをつけるために「憲法」を作成中です。
大朏 どういう内容のものですか。
志太 成功するためには、一、志を持ってやらねばならない。二、パートナーと信頼関係をもたなければならない。 三、変化する時代を見て企業力をつけなくてはならない。というような三か条に、私が今までやってきた経営指針のようなものを付け加えて20項目で構成されています。 こういうものを作っておけば、自分の気持ちも整理されて、後になって口出しをしなくてすむと思ったんです。会社を譲った以上、気持ちが残ってはいけませんからね。
大朏 遺言ですね。是非でき上がったら拝見させていただきたいです。
志太 少し前ですが、それとは別に「家憲」も作りました。「ファミリー」を存続させるにはどうしたらいいか。 一本の筋がないと必ず諍いが起こり、内部崩壊を招きます。諍いが起きないためには、内紛が起きる素地を作らないことが大事です。 これは「ファミリー」の問題と同時に企業の問題でもありますが、たとえばソニーにしてもNTTにしても、子会社が親会社よりも大きくなると問題が起きますよね。 私は基本的に社長が関係子会社の社長を全てやるべきだと考えています。つまり一人の人間が全てを統治するような仕組みです。 息子には100%子会社である限りは絶対に「お前が社長を兼務しろ」と言っています。


■「どぶろく特区」も大きなビジネスチャンス

大朏 志太さんはニュービジネス協議会(NBC、ニュービジネス企業の成長発展と起業家の発掘育成を目指す社団法人)の会長をなされています。 その中で中小企業振興策として様々な提言活動をされていますね。
志太 「21世紀の風運動の会」といって、ベンチャー・中小企業から現場の声を集めて行政や政治に規制緩和などを求めていく活動です。先日も、塩川正十郎・前財務相を「塩じいの世直し運動」代表に迎えて、 規制緩和などの実現に必要な方策についてアドバイスをしてもらいました。今、政府が行っている構造改革の一つに「特区」があります。これも私たちの提言の一つです。 例えば岩手県の「どぶろく特区」では、旅館や民宿が自分たちでどぶろく(濁酒)を作って、お客さんに振舞うわけですが、こうした活動をどんどんやったらいいんです。


■世界分業、IT内蔵、変化を知る、の3つを押さえよ

大朏 最後に、読者である創業経営者・企業家のみなさんにエールを送っていただけますか。
志太 21世紀はインターネットの登場で20世紀とは全然違う世界になりました。ここで勝ち組になるのは、次の3つのポイントを押さえた企業だと思います。 1つ目のポイントはグローバル化によって世界分業の時代になったということ。中国で製造すれば何十分の一のコストですむところを、国内で製造していたら競争にならないですよね。 次にITの内蔵化を進めていくのが必須になっているということ。徹底的にIT技術を商品や企業の仕組みに取り入れていく必要がある。3つ目は変化を知る企業でなくてはならないということ。 社会の変化、人間の考えの変化をしっかり知り、それを商売のネタにする、ビジネスモデルに組み入れていく。この3つのポイントをしっかり押さえた企業でない限りこれからは絶対に生き残れないと思います。
大朏 具体的に今後の伸びていくであろうビジネスはどんなものだと考えますか。
志太 例えばユニクロは、日本でマーケティングして、ニューヨークでデザインし、中国で作って、日本で売っている。まさに世界分業です。それから回転寿司の世界。 ネタはおそらくメキシコだとか外国のもので、握っているのは職人ではなくてロボット、つまりITです。威勢のいいお兄さんが握る寿司でなくても、お客さんが満足している。これは人間の意識の変化です。 ローテク企業が、今話したような21世紀型のビジネスモデルを取り入れれば、まだまだ成長する余地はあると思います。若い人は社会の変化をよく観察して、新しいビジネスを生み出してほしい。 私もこの「風運動」を通じて、企業家の皆さんの声を集めて今後も行政に対してどんどん政策提言していきます。



大朏 直人(おおつき・なおと)氏

1941年東京生まれ。
65年駒沢大学文学部卒。
同年4月、ラジオ部品メーカーに入社後独立。電子機器製造の日本電通を設立、 社長に就任。85年、自動車部品メーカーの丸八工場(現テクノエイト)の再建を契機に、 4社の再建に成功。93年6月に東芝傘下のオンキヨーを個人で買収、1年半で黒字経営に転換した。
現在、12社の企業集団を率いる。
志太勤(しだ・つとむ)氏

1934年10月、静岡県生まれ。
53年に静岡県立韮山高校卒業。同年フードサービス事業を開始。
59年1月、現シダックスフードサービスを創業、社長に就任。
96年シダックスフードサービス、99年シダックス・コミュニティーがそれぞれ店頭市場に上場、 01年4月両社の株式移転によりシダックスを設立、現ジャスダックに上場。
現在シダックス代表取締役会長。社団法人ニュービジネス協議会会長などを務める。

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雑誌「企業家倶楽部」2004/6月号より転載。
本欄は(株)企業家ネットワーク様のご好意により実現したことを記し、謝意を表させていただきます。

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