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プロがプロに聞く経営の話
 日本の大企業はベンチャーをもっと活用すべき
Guest   フューチャーシステムコンサルティング社長 金丸恭文
Host オンキヨー会長 大朏直人


フューチャーシステムコンサルティング社長
Guest 
金丸恭文 Yasufumi Kanamaru

オンキヨ−会長
Host 
大朏直人 Naoto Ohtsuki

独立系ITコンサルティング会社として急成長を遂げたフューチャーシステムコンサルティング。挑戦することをよしとし、確かな技術力と卓越した経営手腕で、メインフレーム全盛のコンピュータ業界に切り込み、パソコンによる付加価値の高いIT化を推進してきた。同社を率いる金丸恭文社長のルーツはアメリカ西海岸。創業時の苦労から、現在の人事評価制度の工夫まで、そのベンチャー精神にオンキヨーの大朏直人会長兼社長が迫る。


■縁のあるアメリカ西海岸

大朏 今をときめくハイテク企業を作られた金丸さんには以前から興味がありました。金丸さんは学生時代はどんな感じだったのですか。
金丸 大学に入ってからアコースティックギターに興味が出まして、本気でバンド活動に明け暮れていました。
大朏 インディーズの走りですね。
金丸 そうですね。実はその当時、自分が選んだ音楽と社会人になって自分が選んだビジネスには結構関係があるんですよね。ウエストコーストロックというジャンルなんですが、いわゆるアメリカ西海岸を中心に流行した音楽です。学生の頃にそのエリアを放浪したことがあって、大学を卒業して入社したのがコンピュータの会社。もともとアメリカ西海岸に縁があったわけです。
大朏 金丸さんが放浪した当時から、シリコンバレーでIT産業が勃興しそうな土壌があったんですか。
金丸 僕は1954年生まれですけど、1955年に後にシリコンバレーといわれる場所にショックレー半導体研究所が設立されました。これはトランジスタでノーベル物理学賞を取られたショックレー博士の研究所です。そこから後に人材が輩出され、シリコンバレーのルーツになる。インテルの創業者であるゴードン・ムーアやロバート・ノイスもそこからスピンアウトした人ですよね。研究所に出資していたのが、フェアチャイルドという東海岸のカメラ会社。だけど東海岸の人がマネジメントについてうるさく言うから、「自分たちでやろう」と立ち上げたのがインテルです。そこにベンチャーキャピタルの人たちが集ってきたのです。研究所ができる前のベンチャーとしてはヒューレッドパッカードが有名で、一番最初の製品はアンプなんですよ。
大朏 そうなんですか、驚きです。
金丸 そしてそれを最初に採用したのがウォルトディズニー社なんです。アメリカには大手企業が小さなベンチャー企業の技術を取り入れる文化があります。今でもヒューレッドパッカードはイノベーション力のあるベンチャー企業の技術を採用しています。インテルのCPU(中央処理装置)を採用したIBMもそうです。最近だとフェデックス社がビトリア・テクノロジーというベンチャー企業の技術をフル活用しています。日本ではイノベーション起こすベンチャー企業を大企業がうまく活用することはほとんどないですよね。
大朏 残念ながらそうですね。


■日本企業には良いものを見極める目がない

金丸 例えばベンチャーが大手企業の購買部に行くと「どこに納入しましたか」と実績を聞かれます。
大朏 納入実績を聞かれても、新しい企業にはあるわけがない。「ない」と答えると採用されないでしょう。
金丸 仕事を通じて新しい企業をサポートする風土がないから、イノベーターが出てこないんです。大企業にはたくさんエリートがいますが、彼らが新しいものを見出す目がないから、国力が低下して当然だと思います。日本人が日本の新しいものをきちんと評価するという価値観が社会的に広まらなくてはいけない。
大朏 もっとベンチャーで成功した人を褒めてやればいいんです。われわれが一番苦労したのは、お金に決まっているんだから。それを知らずに「うまい具合に儲けて何だ!」という傾向があるんだよね。これを変えていかないと企業家は生まれてこない。
金丸 日本は既存のチャンピオンだけもてはやしますが、挑戦者がいてこそのチャンピオンなんです。挑戦する人にも半分の拍手を送らないといけないのに。
大朏 挑戦する勇気に拍手を送らないといけないんだよ。子供社会でもそう。「野球だ、サッカーだ」と言っている子供ばかり褒めて、ガリ勉やってる子供を褒めない。こんなバカな話はないよね。やっぱり僕みたいに勉強ばかりしてきた人を褒めないと(笑)。
金丸 同感ですよ。
大朏 僕の知る限りでは、金丸さんの会社だけが本当の意味で、企業のIT化に対して対応できているんじゃないかと思います。業界の問題点を理解した上でやってこられたと思いますが、実際のところを話してもらえますか。
金丸 コンピュータ業界にはこの20年来、不毛な宗教戦争みたいなものがあって、大きなコンピュータの未来を信じて疑わない人と、大きいコンピュータに未来はないと思っている人たちが対立しているのです。大きなコンピュータを扱えば会社は儲かるんですが、その仕事に携わっているエンジニアからすると技術が解放されていない部分があるので面白くない。だからこそ若い人たちは自分の人生の選択として、こぞって小さいコンピュータ(パソコン)の新しい技術に熱中したんですね。今でも古い技術をやっている人が企業のシステム部にたくさんいて、新しい技術が社内に入ってくれば自分の仕事が奪われると考えて、排他的です。結果、大きいコンピュータへの依存度は先進国では日本が一位ですが、そういう人たちは小さなコンピュータを扱うことが下手くそなんです。パソコン周辺機器の分野で日本が出遅れたのはそのためで、昔からこの状況がほとんど変わっていません。アメリカではいろんなプレーヤーが出てきて、インテルのCPU、オラクルのデータベース、デルのハードというように分業体制になった。こうしたイノベーションで顧客の選択肢は増えたんですが、どの組み合わせが最適なのか分からない。そこでわれわれが全体の最適化を考えたIT化を提案します。
大朏 コンサルティングする際、金丸さんが言うことを理解してもらえますか。
金丸 システムのことを理解していない経営陣の取締役会でのIT投資の議論は寂しいかぎりです。説明するのは企業の中で長年システム部にいる責任者です。私なんかもよく役員会に出ていますけど、何を話しているのか全く分かりません。数社の比較をして、その金額の違いを言っているだけ。金額にはほとんど意味がないのにです。3年後、5年後の未来がどうなるかをしっかり考えて、システムを構築しないといけない。それを分かっていないとその瞬間の見積り金額で決めることになる。そしてどうせ中身がわからないから、安い方を選ぶ。IT投資は担当者任せではいけない。経営陣がしっかりと手綱を握ってやるべきです。
大朏 理解が足りないことが、日本企業のIT投資をおかしくしてるんでしょうね。いろいろとコンピュータ屋さんから嫌がらせも受けているようですね。
金丸 「長年かけて築いてきた城に土足で上がりこんできて、何なんだ!」と思っているんですよ。われわれのようなベンチャーは小さな挑戦者なんですから、正々堂々と勝負してくれればいいんです。でも小さな挑戦者にビビッたチャンピオンたちが、リング外の乱闘に持ち込もうとしている。
大朏 リング外の乱闘に持ち込まれても負けることはないでしょう。
金丸 リング外の乱闘にもけっこうノウハウがあるんです。われわれはリングの上でしか戦ってこなかったので最初は戸惑いましたが、最近は学習しつつありますね。本業では絶対に負けません。
大朏 ハードウェアの設計のほうも依頼されるようになってきているのですか。
金丸 フューチャーには自分たちでハードウェアを作り、通信機器の設計・製造に携わっていたエンジニアがいます。当然、彼らはハードウェアに詳しい、PCの中身はブラックボックスではないのです。


■夜な夜な電卓を叩いた創業期

大朏 僕は会社を起こしたときとても苦労しましたけど、金丸さんはどうでしたか。
金丸 創業期は夜が怖かった。昼間はみんながいて、電話がかかってくるし、仕事もしている。夜が近づいてくると一人一人帰っていって、オフィスで一人になる。昼は社員に夢やヴィジョンを語ってるんだけど、夜は一人で現実に戻って、電卓で残りの資金を計算し、いただけそうな注文を考える。そうするとあと45日ぐらいでお金がなくなる、という現実に直面するわけですよ。電卓をはじいて、45日間でどうやって入金までやるか考える。間に合わなければ借り入れをしなければいけない。借り入れをするには入金の見込みを聞かれるわけで、それが架空のペーパーだったらいけない。そんなことを夜に考えていると眠れなくなる。けど朝は不思議と元気になるんですけどね(笑)。一生懸命にみんなに弱みを見せないようにしてましたけど、最初の2、3年は落ち着かなかったです。
大朏 すごく分かる! でも金丸さんがエクセルではなくて電卓で計算してたというのは面白いね。
金丸 いや、エクセルが必要になるほどの顧客の見込みがないんですから(笑)。事業金融会社から月末の締め日の3日くらい前になると電話が掛かってくるんです。電話に出ると「今週は事業資金大丈夫でしょうか」って言われる。「間に合ってる」といって切るんだけど、「電話番号だけ聞いときゃよかった」とか後悔したり(笑)。
大朏 いいタイミングでかかってくるわけだ。やっぱりお金の悩みは社長業をやって初めて分かるものですよね。
金丸 そうですね。それから雑用の大切さもわかりました。出来上がっている会社に就職すれば、いわゆる総務的な仕事をやってくれる人が最初からいる。例えば派遣の女性がいるとかですね。ところが起業すると文房具から見積書、請求書、納品も全部自分で処理しないといけない。そうすると雑用をやってくれる人の有り難みが分かるんですよね。電話番って簡単に言うんだけど、最初は電話番でさえ来てくれなかった。派遣会社にお願いしても、ドアをあけたところで男が一人しかいないのを見て、ガチャっと閉められる。十人ぐらいは立て続けに断られましたね。自分たちはお金を払っても人が来てくれない存在なんだって気付きました。だから知り合いの女性に頼んだり、近所のおばさんに声をかけたり、アルバイト募集とか書いたりもしてましたね。
大朏 僕も一番最初は、ただ運転してくれて、商品を運んでくれる人が欲しかった。納品するとき、こんなものを自分で運んでる時間がばかばかしいと思ったけれども、当時は誰も来てくれなかった。
金丸 僕はもう騙すしかないなあと思いましたよ(笑)。「オフィスはどこですか」と聞かれても、オフィスはないんですから。社名にフューチャーとありますから「それは未来だ」と偉そうなことを言っていました。
大朏 創業期はそういう苦労があって当たり前だけど、働く人の一人一人の大切さを今いる人たちに知って欲しいよね。「あいつ使えないので、次の人を下さい」と簡単に言う社員がいるけど、それは違うだろうという思いがある。もちろん僕たちと同じような苦労をする必要はないんだけど。僕はオンキヨーの社長になったときに、営業の人間にエージェンシー(営業代理店)制度で各自社長になってもらった。それでエージェンシー会議を4ヵ月後にひらいて感想を聞いてみると、「トイレットペーパーってなくなるの早いですね」という。これは自分たちで買ってるから分かるんですよね。


■評価制度を工夫する

大朏 技術屋集団を率いているわけですが、その人たちの評価はどのようにしてるのでしょうか。
金丸 当社は自己評価の高い自信家が集まっている。自己評価は最高だという連中を特定の人だけで評価すると、すごく不満が残るんですよね。かつては私のところに評価が低すぎると文句を言ってきた若者がたくさんいました。それでいろいろ考えて、周辺で仕事をしている人たちがその人を評価するようにしたのです。一緒に仕事をしたことがある人の前で、20分ぐらいプレゼンテーションをしてもらう。自分は1年間こんな仕事をして、会社に貢献した、こんな結果を出したと。そしてその人の部下、同僚、チームリーダー、それから違う部署の人にも評価についてコメントしてもらう。仕事を一緒にした人ですから本人は反論の余地はないですね。
大朏 その評価制度はどの程度のレベルの人までやるんですか。
金丸 新入社員から役員までです。役員のプレゼンには一言あるってヤツが五倍ぐらい集まってきますよ(笑)。ただそれを明るい雰囲気でやらないといけない。非難するだけでは、ネガティブな感情だけが残ってしまう。ものすごく明るく「さぁ始めましょうか!」とやる。
大朏 昔から人の評価は難しい問題ですよね。伸びている会社は、そういう部分がしっかりしてる。アイデアもいいですし、何よりも実行していますよね。
金丸 新しい発見がありました。ある中堅クラスの人物が20分プレゼンをして、若い人からコメントしていきます。それを一番若い新入社員の人から5人ぐらい並んでコメントをつけて、僕が6人目だとすると、僕の書いたキーワードは全部前の若い人たちの意見に含まれている。本当に最初の3名程度のコメントだけで十分で、上司のコメントは必要ないんです。
大朏 若い人は、しっかり見ているということですね。
金丸 一緒に仕事をした仲間が聞いているから嘘は言えません。僕が聞いているので、上司が「この仕事は私がやりました」と言っても、下からプレゼンしているので、説得力がないです。それはチーム全体でやったんですから、上司はどれだけリーダーシップ発揮したのかをプレゼンしないといけない。如実にその人の力量が分かります、本当にびっくりしました。
大朏 それは是非オンキヨーでも取り入れてみたいですね。



金丸 恭文(かねまる・やすふみ)氏

1954年大阪生まれ。
78年神戸大学工学部卒業後、
財務・会計システム大手のTKCに入社。
82年、ロジック・システムズ・インターナショナル(現ロジック)に入社。
85年にセブンイレブン・ジャパンのPOSシステムを構築し、業界で注目される。
89年、フューチャーシステムコンサルティングを設立し社長に就任。
99年6月に店頭公開。
02年6月東証1部上場。
大朏 直人(おおつき・なおと)氏

1941年東京生まれ。
65年駒沢大学文学部卒。
同年4月、ラジオ部品メーカーに入社後独立。電子機器製造の日本電通を設立、 社長に就任。85年、自動車部品メーカーの丸八工場(現テクノエイト)の再建を契機に、 4社の再建に成功。93年6月に東芝傘下のオンキヨーを個人で買収、1年半で黒字経営に転換した。
現在、12社の企業集団を率いる。

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雑誌「企業家倶楽部」2004/2月号より転載。
本欄は(株)企業家ネットワーク様のご好意により実現したことを記し、謝意を表させていただきます。

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