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プロがプロに聞く経営の話
 映像と写真に特化しデジカメ時代のインフラをめざす
Guest   キタムラ社長 北村正志
Host オンキヨー会長 大朏直人


キタムラ社長
Guest 
北村正志 Masashi Kitamura

オンキヨ−会長
Host 
大朏直人 Naoto Ohtsuki

デジタルカメラの普及や大手家電量販店の進出などで、今カメラ業界は大きく変動している。そんな中、カメラ販売・DPE業を手がけるキタムラは、成長するデジカメ市場の取り込みを狙っている。インターネットによるデジカメ写真のプリント注文など、IT時代に対応するカメラのプロ集団として、さらなる躍進を目指す。


■製造業は巨木、商業は草

大朏 私はものづくりが好きで製造業をしていますが、北村さんはカメラがお好きで、好きなものを売っているから幸せなのでしょうね。
北村 しかし私が思うには、商業は草みたいなもの。それに比べて、製造業は巨木です。われわれは人様がつくったものを売るだけで、研究開発と生産計画がないですからね。
大朏 いきなり本題に入っちゃうような話ですけど、そうは言っても、たとえば日産自動車が潰れたとしても、その分、トヨタ、ホンダ、三菱などが余計に車をつくるだけのことで、国民には何の影響もないという一面もあるんですよ。一時的に、取引先とか従業員は大変な思いをしますけどね。日立とか東芝が潰れても同じことです。競合会社がたくさんあるから冷蔵庫、洗濯機、テレビがなくなって困ることはないのです。そういう面があるから、大手の電気屋さんたちが、大手メーカーの人たちをあごで使うようにして、競争させている。しかし一方で、たとえばソニーが、あの電気屋には商品を入れないと決めたなら、その電気屋は確実に潰れますよ。メーカーには販売会社をつぶすぐらいの力があることは確かですよね。
北村 そうでしょうね。
大朏 ただ現状は、メーカー間の限りない競争があるので、必要以上にメーカーを怖がる必要もない。結局メーカーも販売店も、自分たちの持っているものをどのぐらい表現できるかにつきる。御社で言えば、われわれメーカーが丹精込めてつくったものを、どのぐらい上手に売って頂けるか、それはお互い様ですよね。当社に関して言えば、オーディオを専門につくっているので、家電メーカーのオーディオより強いに決まっている。それに傾注しているのですから。
北村 話はそれに関連するのですが、カメラ屋と電機屋は以前はわりと近い存在で、うちでもコンポなどを売っていたことがあるんです。ところがヨドバシカメラ、ビッグカメラがこの七、八年、家電をすべて取り込んで物凄く巨大化していった結果、われわれは波打ち際に弾き飛ばされ、純然たるカメラ、写真屋に特化していった。今、われわれが扱っている電機製品はデジカメ(デジタルカメラ)とムービーだけで、窓口として残っているのはソニーさんと松下さんぐらいです。そう見ると家電業界も変わりましたね。
大朏 変わりましたね。
北村 巨大な量販店がものすごい価格を表に出して競争し始め、さらにインターネットがその価格を世界中に宣伝してるから、中途半端な流通のマージンは吹き飛びました。


■激動のカメラ・写真業界

大朏 今、御社ではビジネスでインターネットをどのように活用していますか。
北村 ホームページで年商20億円ぐらいの商売をしています。
大朏 全売上高の2%ぐらいですね。インターネットで20億円というのはかなりのものです。
北村 実績で20億円売っております。その他にも当社はデジタルミニラボを各店に導入し、デジカメのプリントをインターネットで受注するサービスをこの春から始めまして、9月現在で、一日1,000本ほど注文が来るようになりました。
大朏 大変なものですね。
北村 春に比べると10倍になったので、そのうち10,000本になるのではと期待しています。デジカメのDPE発注はインターネットが一番向いているんですよ。
大朏 利用するユーザー層が重なっているでしょうからね。
北村 私どものデジタルミニラボは一種のパソコンですから、インターネットが大事なインフラになってきました。
大朏 社長はネットにますます力を入れていこうと?
北村 一生懸命やっていますけど、私自身はとんと分からない。分からずに横から理屈だけでものを言っています。
大朏 これほどカメラが変化している時代は、これまでにないんじゃないですか。
北村 今、デジカメを除くと、カメラの売り上げは3年前の半分になっています。
大朏 わずか3年で。
北村 あと2、3年もすると、それがさらに半分になると思う。ということは5年間ほどで市場は25%になる。その代わりにデジカメがそれ以上に増えている。
大朏 そうでしょうね。
北村 私どもは大きな影響を受けます。まずフィルムは影響を受けますね。それに従来型のDPE(写真の現像・焼付け・引伸し)機械ではデジカメのプリントはできないですから。
大朏 といって、アナログが25%になっても、従来の機械は置き続けなければならないんでしょう。
北村 いや、デジタルミニラボはアナログのDPEもできるんです。結局私どもはこの二年間でデジタルミニラボに80億円投資しました。1,500万円する機械を550店舗に導入したのですから、災難でした。
大朏 しかしその投資が今生きているんでしょう。
北村 ええ。今、総プリント枚数の17%はデジカメのプリントです。
大朏 そんなに多いんですか。
北村 去年の今頃は3%でした。おそらく来年の終わりには30%になる。そういう変化に振り回されております。今、写真屋は受難の時代ですよ。
大朏 でも撮っている人は多いですよね。結婚式などでもみんな小さいデジカメでパチパチ撮っているし、終いには携帯電話で撮ったりしてますね。
北村 デジカメは、撮った人の50%がプリントしない。見て終わりなんです。それで残りの50%の半分ぐらいが、自宅のプリンターで印刷する。デジカメで撮ったショット数のうち写真屋で処理されているのはまだ2、3%ですから、取り込むべき市場はまだ膨大に残っていると認識しています。
大朏 家庭用のプリンターでも良いものが出ていますが、御社でプリントする場合との差はどんな具合なのですか。
北村 写真屋のプリントの方が理論的にも実際的にもはるかにきれいです。価格は同程度の一枚30円くらいです。ですから、自分で印刷するのが面倒だから写真屋に頼むという習慣が定着すれば、需要は跳ね上がる。今は結局、写真屋のDPEとエプソンさんの綱引きですよ。


■対面販売とセルフ販売

大朏 御社の競合は、ビックカメラやヨドバシカメラになるんですか
北村 ビッグさんやヨドバシさんは95%が写真以外の売り上げです。写真・カメラ部門だけなら、私どもはビックさんより大きく、ヨドバシさんとほぼ同じくらい売っています。私どもの商売は街のDPE屋さんみたいなものですから、ビッグさんやヨドバシさんとは大分違いますね。
大朏 むしろDPEチェーンのプラザクリエイトさんなどの方が近いのですね。キタムラさんはFCはやらないのですか。
北村 全部直営です。ですから十分価値は大きいのですが、今後、社員の平均年齢が上がっていくと大変だなと思っています。
大朏 平均年齢が上がることの最大の問題は所得が上がることですからね。(笑)
北村 年に100店ずつ出した年が2、3年あるんですよ。ということは毎年300人ずつ 採用してきた年が3、4年続いた。まだ平均年齢が30歳前ですけれども、これからは気をつけないといけない。労働組合もつくりましたので、私の次の社長は苦労するでしょうね。そこで今考えているのは、マクドナルドさんのように、アルバイト・パートさんを徹底的に活用する方式です。マクドナルドは24時間ストアで30人ぐらいパートがいて、それに対して社員は一人ぐらいで成り立っているんです。少ない従業員で最高のサービスをする技術をもっと追求しないといけない。その点、製造業はかなり進んでいますよね。
大朏 窓際族というと悪いイメージがありますが、そういう人がいるのは必ずしも悪い会社だとは思わないんですよ。なぜかというと、彼らのそれまで培ってきた経験が必要になる時が必ず来る。そういう時のために人をおいておけるのは、余裕がある証拠だと思うんです。私の知る限りにおいては、商業の人たちは窓際ではなく必ず店頭に出すとかいいますけど、私に言わせると製造業に比べれば無駄は相当あると思います。言葉を変えると、まだ生きていけるということ。余裕たっぷりな感じがしますよ。
北村 やはりサービス業・流通業の生産性は、製造業に比べれば相当低いんですよね。
大朏 世界中を見てもそうですね。
北村 私も、サーキットシティ(米国第2位の家電量販店で対面販売方式)とかベストバイ(米国1位の家電量販店でセルフ販売が主体)によく行くんです。あるツアーでベストバイの本部にまで行ったことがありますが、セルフの領域と対面の領域を上手く組み合わせて良く工夫していると思った。で、うちはどちらかというとサーキットシティ型なんです。対面接客で最高のサービスを行いたいからFCを嫌って、労働集約的に非常に愚直にやってきた会社なんですよ。だからうちの店で買物をしたお客さんはハッピーになるんですけれども、事業としてやっていけるかは、これから考えなければならないのです。私としては、自分が客だったら絶対サーキットシティで買いたいです。
大朏 それはサーキットシティの方が対面販売に力を入れているからですね。この2社は1、2位を争っていて、私は双方のボスを知っていますが、基本的にはサーキットシティの方が残るような感じがしますよ。
北村 そうですか。
大朏 サーキットシティの方が強いですよ。サーキットシティがベストバイになることは簡単にできるが、ベストバイがサーキットシティになることはできない。さっき言ったのはそれなんですよ。そういう余裕があるとこが勝つ。
北村 やっぱり物を買う時は、きちんと説明してもらえるところがいいですよね。
大朏 サーキットシティはアフターサービスに物凄く手間をかけています。「ベストバイで買ったものだからしょうがない」と諦める客もサーキットシティだったら文句を言う。サーキットシティはこれに愚直に対応するんです。長い目で見たらサーキットシティの方が残ると思いますね。商品が難しくなっているし、アフターサービスの充実がさらに問われるようになるからです。サービスの良い方に(人は)行きますよ。
北村 では当社も、あまり自分たちの悪いところを見ずに、いいところもあるんだと考えていいんですね。
大朏 そう考えるべきですよ。安物は安物なんですよ。メーカーも安さで勝負してしまうと、一時的には売れても、ブランドイメージが悪くなるし、技術者も高いものがつくれなくなって結局、高級品に戻れなくなるんです。


■カメラ屋をロードサイドに展開して急成長

大朏 お父さんの代にカメラ屋さんを始めたそうですね。
北村 私は高知県のカメラ屋の息子なんですよ。私自身が発明したことは、道端(ロードサイド)にカメラ屋をたくさんつくったことだけですよ。
大朏 それが大変なことなんです。
北村 車で行ける、田んぼの真ん中に店をつくった。車で走っていると、紳士服の青山さんとか靴屋さんとかありますでしょう、あの立地なんですよ。ああいう立地でね、こともあろうにカメラ屋をつくった。こともあろうにそういう所にメガネ屋をつくった人もいましたね。道端にカメラ屋をつくったことが私のやった唯一のイノベーションだと思います。
大朏 昔はカメラ屋といえば、駅前の商店街にあるのが普通でしたからね。
北村 うちの店の利点は車で行けることと、買わずに出てこられることなんですよ。従来の小さなカメラ屋さんだと、買わずに出るのが何かきまり悪かったでしょう。
大朏 そういう気持ちはありますよね。
北村 うちの店は広いので、ぶらっと入って買わずに出る人が8割いますから、それがちっとも負担にならない。入りやすいのでなく出やすいんですよ。
大朏 面白いですね。
北村 それがイノベーションだった。それと事業化していく過程で大変だったのは送金の仕方など、全店で標準化しなければならない部分でしたね。カメラのような換金性のある商品を550カ所で仕入れ、在庫し、販売する。その資産を内外からきちっと守って、数字をきちっと合わせる技術が意外に大変でしたね。
大朏 一店舗ずつの積み重ねがあったからできたのでしょうね。
北村 最初から3桁の店舗をつくろうと思っていたので、駅前みたいな最高立地に目を付けることはできなかった。マクドナルドさんも1号店は銀座三越に出しているけど、今は道端に出している。たくさん出店するためには道端に出すしかないんです。
大朏 先代が経営していたころには、どんな会社だったのですか。
北村 高知県で現像所をやっていた。当時は現像所は花形でしたから、私自身も小売をやったことがなかった。けれども下請けのままでは、この先危ないと思ったのです。
大朏 2代目としてのやりにくさ、苦労はなかったですか。
北村 最初の4、5年ありましたけどね。若い人が多かったし、父親も上から押さえつけるようなタイプではなかったので、わりと好き勝手にやることができました。それで店を三桁作ると私が言い出して、高知県を出て、岡山に1号店を出してからは、誰も制約する人はいなかったですね。
大朏 そんなエネルギーはないでしょうね。
北村 若いころから勘当になるほど威張ってましたけど、勘当にならずに助かりました。
大朏 キタムラさんは非常におおらかな明るい社風のように感じられるのですが、社員教育について、どのように考えておられますか。
北村 社員教育は、あまりしないんですよ。自分自身が本気で思っていないことはやれないですからね。この性格ですから、精神教育みたいなことはできない。思想的に言うのは「お客さんを大事にしろ」ということ。それから自分自身としては、企業を公器として経営し、公私混同がないようやろうと。それぐらいで、あまり精神的なものをもってないんですよ。人がやらない産業をやっているから生き延びているのであって、過酷な業界だったら、うちは生き残っていません。つまり私はアマチュアで、大朏社長のようなプロじゃないんですよ。今日の対談は「プロがアマチュアに聞く経営の話」とすべきです。(笑)
大朏 そんなことを言ったら、人間生きているうちはみんなアマチュアですよ。(笑)最後に、キタムラをどんな会社にして行きたいか、お聞かせください。
北村 映像と写真の徹底的なスペシャリティーになり、国民の生活になくてはならない専門店になりたいです。ボリュームを求めるのではなく、暮らしの中で必要と認められる会社でありたいと思っています。



大朏 直人(おおつき・なおと)氏

1941年東京生まれ。
65年駒沢大学文学部卒。
同年4月、ラジオ部品メーカーに入社後独立。電子機器製造の日本電通を設立、 社長に就任。85年、自動車部品メーカーの丸八工場(現テクノエイト)の再建を契機に、 4社の再建に成功。93年6月に東芝傘下のオンキヨーを個人で買収、1年半で黒字経営に転換した。
現在、12社の企業集団を率いる。
北村 正志(きたむら・まさし)氏

1941年名古屋市生まれ。64年早稲田大学第一政治経済学部中退。65年浅沼商会入社。70年キタムラ入社、取締役就任。79年代表取締役営業本部長。85年社長。2002年企業家賞受賞。先代の北村政喜氏が1934年高知市に開業したキタムラ写真機店を引き継ぎ、550店の店舗網をつくり、売上高1,000億円を超える上場企業に成長させた。

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雑誌「企業家倶楽部」2002/12月号より転載。
本欄は(株)企業家ネットワーク様のご好意により実現したことを記し、謝意を表させていただきます。

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