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プロがプロに聞く経営の話
 会社は社長の器と共に成長する
Guest   ペッパーフードサービス社長 一瀬邦夫
Host オンキヨー会長 大朏直人


オンキヨー会長
Host 
大朏直人 Naoto Ohtsuki

ペッパーフードサービス社長
Guest 
一瀬邦夫 Kunio Ichinose

日本一のコックを目指して上京。経営者に転じ、数多くの困難を乗り越えてきた一瀬邦夫氏。コック出身の強みを生かし、低価格ステーキ店チェーン「ペッパーランチ」を開発。株式公開を目指して躍進中の新鋭企業家に、大朏直人氏が「会社は社長の器以上に大きくならない」と説く。


■ 日本一のコックを目指して上京

大朏 今のペッパーランチの好調ぶりを見ていると、アメリカの同時多発テロ事件なんて全く影響がないようですね。
一瀬 そんなことはありません。今回の事件の場合、各新聞が「参戦」なんて言葉を使ってるから悠長に外食をしているより、家族とテレビを見ながらご飯を食べようと考える。少なからず影響はあると思います。でも、うちだけの試練じゃないから、そんなに気にしてません。
大朏 今回の事件ではほとんどの会社が平和という基盤に成り立っていることを再認識させられました。平和でないことの怖さが、戦争経験のないわれわれにはわからない。こんな時は、じっと耐えるしかないのかもしれませんね。
さて、本題に入りますが、まずは皆さんに一瀬社長の経歴を紹介していただけますか。
一瀬 私は高校卒業後、日本一のコックになろうと上京し、浅草のレストランに入って修行に励み、数年後に日本屈指の有名ホテルのコックになりました。しかしここで、日本で5本の指に入るような外食産業をつくりたいと思うようになり、27歳で独立。6坪のレストランからスタートしました。
大朏 有名ホテルのシェフが腕をふるうお店ですから、さぞかし評判がよかったでしょうね。
一瀬 私も腕には自信があったので当然、大繁盛店になると思っていました。しかし、思わぬ盲点がありました。目論見通りお客さんはたくさん来てくれたのですが、店が狭すぎて席が全然まわらなかったのです。お客さんが来ても満席で帰られてしまう。そこで出前に活路を見出しました。
大朏 出前なら、いくらでも注文を受けられますからね。
一瀬 そうです。それからは店の経営も軌道にのり、36歳で4階建てのビルを建てることが出来ました。つい最近オープンしたのにもうビルを持ったのかと近所で評判になり、まさに幸せの絶頂でした。ただ、自分でもそのことに酔ってしまった。親子4人ひとつ屋根の下で暮らしたいという長年の想いが達成されて満足し、何不自由なく43歳まで安穏と暮らしました。ところが社員が年に2回か3回、必ず「辞めたい」と言ってくるのです。私としては辞めると言われるのが嫌で嫌でしょうがない。これは一体どうしたものかと思ったのです。
大朏 経営者が陥りやすいところですね。
一瀬 私なりに原因を考えると、自分に夢がないからだと思い当たりました、自分だけが小さいところで満たされており、社員にとっては夢も希望もない会社になっていた。だから仕事を覚えたら自分のために辞めていくのは当然でした。
大朏 自分を高めてくれる可能性がその会社にないと思ったら、当然辞めていくでしょうね。
一瀬 よし、それならこの会社を根本からつくり直してやろうじゃないかと一念発起したんですが、その矢先、指を大怪我して、病院に40日間ほど入院せざるを得ない状況になった、それまではすべての料理を私が見ていた。それくらい料理を大切にしていたので、私がいないとなると、常連さんをも失いかねない。そこで「店を閉めろ」と社員に言ったのです。
大朏 苦渋の選択でしたね。
一瀬 すると社員たちが「社長、私たちが何とかします」と言ってくれたんです。私も本音では店を閉めたくなかったので、乾坤一擲「よし、任せた」と店の経営を託し入院しました。正直、腹の中では、今まで指示待ちでしか動けなかった社員たちに任された店はめちゃめちゃになっているだろうと思っていました。ところが店に行ってみると、指示待ちだったはずの社員たちが、ものすごく生き生きと働いてたんです。そんな様子を見たら、40日間休んだのだからあと10日間ぐらい休んだって変わらないと腹をくくることができ、この機会に自分を見つめなおす旅に出てみようと神戸、大阪、小豆島あたりをゆっくり回ったんです。実際はほんの一週間でホームシックになってしまいましたけど(笑)。
大朏 普段働いていらっしゃいますからね。


■「辞めたい奴は辞めろ」と初めて言えた日

一瀬 旅行から帰ってきて考えたのは、やはり会社をつくり直すことです。でも肝心の幹部がいない。悩んでいると、コンサルティング会社から手伝いをしようとの申し出があり、協力してもらいました。そこで運良く2号店、3号店と店を次々と出すことに成功しました。しかし、ここでまた問題にぶつかりました。
大朏 経営者は次々と問題にぶつかるものです。
一瀬 自分に能力がないのに店を出すことだけに一生懸命になってしまった。そして自分に力がないのに、社員に対しては夢と希望だけをいたずらに膨らませた。すると今度は社員に辞められたら困ると思うようになった。
大朏 経営者は社員に辞められるのが一番こたえますからね。
一瀬 莫大な借金をしていますから、辞められたら困るわけですよ。するとどうしても社員に気遣いをするようになり、経営じゃなくなってしまった。言いたいこともビシッと言えない。言えないから不満が募る。不満が募ると、だんだん言葉数がなくなって、断絶していくんですね。私の場合、そうなってきた時にちょうど資金が底をつき、回らなくなって「これで倒産か」という事態になりました。
大朏 社長と社員のすれ違いと、会社の危機が同時発生してしまったんですね。会社の危機には社員が一丸となってあたらなければならないのに、この場合社員と社長との間に埋めがたい溝があるわけですから難儀な問題です。
一瀬 そこでやっと覚悟を決め、一晩かかって独力で再建策を考えた。もしうちの会社に第三者が再建にやってきたら、どうやって建て直すだろうと考え、ありとあらゆる再建策、可能性を必死で書き上げました。すると今まであれだけ辞められるのを恐れていた人間が、一人一人の従業員を呼んで10%〜15%の給料ダウンを申し渡すことができた。もちろん自分の給料は三分の一。乗用車も日産シーマから10万円程度の中古車にした。もちろん賞与なし。旅行もなし。定期昇給もなし。とにかく全部やった。するとたった4店舗でしたが、1ヶ月で420万円もの節約になったのです。
大朏 社長としての一瀬さんが、まさに生まれ変わった瞬間ですね。
一瀬 給料ダウンを店長会議で発表したとき、案の定「そんなことをしたら、みんな辞めちゃいますよ」と反発がありました。でもさすがにその時は腹を決めました。全員でこれを断行しなければ会社がなくなるんだから、辞めたい奴は辞めろと、ここで初めて言えましたね。
大朏 経営再建のために必要な社員の団結をそこで喚起したわけですね。しかしそれにしても「辞めたい奴は辞めろ」と言うには相当の勇気が必要だったでしょう。
一瀬 そうですね。しかしそれからは会社が一丸となって再建に取り組んだので、たった3ヶ月で黒字になった。たった3ヶ月ですよ。
大朏 それはすごい。一瀬さんの熱意が社員にも伝わったのですね。
一瀬 この大きな要因は、私が経営することが出来たことですね。自分があれをやろうと言ったことに、社員が協力してくれたことなんです。社員たちも本当は、強いリーダーが欲しかったんですね。それが彼らの頑張りを2倍にも3倍にも膨らませた。偶然じゃないと思います。私はまさにそこで経営者になれたと思いました。ちょうど50歳でした。


■ 会社は社長の器以上に大きくならない

大朏 その後に低価格ステーキ店「ペッパーランチ」の展開をスタートしたんですね。
一瀬 94年にペッパーランチという新業態を創業して7年になります。ペッパーランチ1号店を立ち上げた時、ある社員に「やったね。これで億万長者になれたね」と言われたんです。資金が入ってきたこともあって、1号店を立ち上げてから1年の間にFCが2店舗、直営が8店舗と10店舗立て続けにオープンさせたので、その時は私もまんざらじゃなかった。ところがその結果、気がつくと全店舗が赤字になっていました。
大朏 気がつくとまた同じ場所に立っていたと。
一瀬 さすがに「やばいな」と思いました。同時に、以前のように給料を下げるのは絶対やってはいけないとも思いました。この時の危機は人を育てていなかったことが原因でした。この危機を乗り越えるために考え出したのが、コンビニエンスストア方式の委託経営者を募るという方法だったのです。
大朏 コンビニエンスストア方式の委託経営にはどのようなメリットがあるのですか?
一瀬 本来ならばペッパーランチ1店舗建てるのに2,000万円程度かかります。しかしコンビニエンスストア方式を適用すると、オーナーさんは1店舗当り150万円でペッパーランチを経営できるのです。このときもオーナーを募ると何人かが手を上げてくれて、その人たちに1店舗ずつ任せたんです。そうすると不思議なことに、うちの社員がやっても全くだめなものが、150万円払って真剣に取り組まれたご夫婦がやると簡単に利益体質になるのです。これだなと思いましたよ。
大朏 なるほど。夢や希望を持って働くことが結局は一番効率的な経営だということですね。
一瀬 この方法は現在うちのノウハウの一つとして生きています。
大朏 紆余曲折の中からやっと最高のシステムを手に入れたということでしょうか。一瀬さんの熱のこもった語り口の中に創業者のエネルギーを感じます。
一瀬 今は人では困っていません。それから波長の合う人たちが多くいます。正社員が50人。アルバイトやパートナーさんまで入れるとフランチャイズ全店で50店舗あるからすごい人数になります。正社員は今では本当に一丸となってやってくれています。
大朏 失敗を成功に変えるのは、成功する者の王道です。95年にペッパーフードサービスに正式に社名変更されて、昨年の単独売り上げが12億円だと聞いていますが、それは一瀬さんにとって予想途通りのスピードなんですか。それとも少し遅いと感じていますか。
一瀬 これくらいでいいと思ってます。去年一定の利益を出せたので、今では会社の環境がガラッと変わりました。銀行から無担保で融資してもらえるくらいになりました。今年は売り上げが30億円くらいになりそうです。でも今年は店舗拡大のためにおカネを使っているのでまだ利益が出ていないです。
大朏 利益が残らないのは償却が悪いということですか。
一瀬 投資。あとは人件費ですよ。優秀な人材を集めるためです。
大朏 自分でお店を開いて非常に繁盛したけれど、借金をして増築をしたとたんにダメになる企業が結構あります。会社は社長の器以上には大きくならないので、社長の器を超えて会社の方が先に行ってしまうと、赤字という問題が出てきます。一瀬さんは、そういう問題を乗り越えていくことで、器を大きくされてきたようですね。
一瀬 53ヶ月前に行った決起大会が一つのきっかけになりました。倒産の危機に直面していたときに、全員で休みをとってホテルに150人くらい集めて決起大会をやったんです。そこでこれからの会社の方針を説明し、長年働いてくれた社員を表彰し、お世話になった方に感謝し、食事もお土産も思い切って豪華なものを用意したんです。で、そのときみんなのテンションがぐっと上がったんです。そのときの思いを社内報に託したら、うちの常務が「社長、グランドスラムですよ。こんなに大勢の人をやる気にさせたんだから大成功ですよ」と言った。それ以来ずっと自分で社内報をつくり続けています。
大朏 それがこの9月に発刊された『ペッパーランチ物語』(文芸社)という本になったんですね。
一瀬 社内報はペッパーランチの強みの源泉だと思います。


■ 直営店とFC店の違い

大朏 外食産業では無国籍料理みたいなものが増えてきましたが、これについてどう思われますか。
一瀬 うまければ何でもいいと思います。今は創造料理の時代になっており、そういう中で、みんなが創造できないようなものをつくって差別化を図っています。この差別化が売り上げの元になっています。自分で言うのもなんですけど、発想は柔軟だと思います。
大朏 社長というのは、会社の中で一番柔軟性に富んでいるもの。それは社長として当たり前のことでね、そうでなくなったときが社長としてダメになるときです。
ところでFCに関してですが、直営店とフランチャイジーとの決定的違いはなんですか?例えば、フランチャイジーの方から見れば、自分たちは直営店に比べればある種、外様だと思っているのではないか。私はFCの店長さんの方が必死でやって利益を出しているのではないかと思う。その辺のバランスはどのようにとっているのですか。
一瀬 おっしゃる通りです。われわれはフランチャイジーさんには絶対成功できる店舗をやってもらうようにしています。同時に、本当に厳しくしっかりとやり、必ず成功できる様な人にやってもらうようにしています。この人ならいけるという人を選んで、オープンしてからは、極端に言うと自分のお店以上に大切にしています。
大朏 FC展開で失敗した会社は、店舗の数が多くなりすぎてフランチャイジーを選べなくなったところからおかしくなっていますよね。社長が自分の手に余るほどの店舗になりそうなときには、店舗は増やさないことです。
一瀬 私もそう思います。
大朏 あそこのフランチャイジーになるのは本当に厳しいと言われるぐらいの方がいいですよ。そうした信用を積み重ねていくと、あそこのフランチャイジーになるというだけで銀行さんがおカネを貸してくれるようになります。


■ この会社にいてよかったと絶対に思わせてやる

大朏 株式公開を目指しているそうですが、何を目的に公開するのですか。
一瀬 公開の目的は少し気障ですけれども、社員の夢を実現させるためです。独創性あるビジネスをきちんとやっていけば公開なんて簡単なのだと社員に示したい。そして社員を大金持ちにしてやりたいのです。
大朏 いいですね、そういう明快な目的は。
一瀬 私はこれまでずっと「このやろう」と思ってきました。「このやろう今に見ていろ。この会社にいてよかったと、絶対に思わせてやる」と。これが私の思想なんですよ。今までどれだけ罵声を浴びせられたか。でもそういう社員はみんな辞めていきました。そういう人間は、ある限界を持っていて、リーダーシップをとれるようにはなりませんね。
大朏 社員に辞められることがどんなに嫌なことか、私も創業者の端くれですからよくわかります。ボーナスを出した次の日に社員がちゃんと出勤しているかなとか、嫌な顔をしていないかなとか、いろんなことを考えますよ。社長はどこかで変われる勇気をもたないと、失敗の道に行っちゃうこともある。社長にとって一番情けないのは社員に辞められることですよね。辞めた人間は「こんな会社にいられない」と言外に言っているのだから、残っている社員をも馬鹿にしていることになる。ですから社長にとっては辞めたい人間より辞めない人間の方が可愛いのが当たり前。ついてきてくれた社員たちに思いをかけたいというのは、社長業をやっている限り、ずっと思うことでしょうね。
一瀬 今は社員を金持ちにすることが私の使命感のようになっていますね。


一瀬邦夫 (いちのせ・くにお)氏

1942年静岡生まれ。
60年3月、日の出学園高校卒業後、日本一のコックを目指し浅草ナポリ勤務。70年山王ホテルに入社。79年独立し「ステーキくに」を開店。浅草周辺に4店舗展開。94年低価格ステーキ店「ペッパーランチ」をスタート。95年社名を(株)ペッパーフードサービスに変更。「ペッパーランチ」をFC展開で一気に50店舗まで拡大。株式公開を目指して躍進している。

大朏直人 (おおつき・なおと)氏

1941年東京生まれ。
65年駒沢大学文学部卒。
同年4月、ラジオ部品メーカーに入社後独立。電子機器製造の日本電通を設立、社長に就任。85年、自動車部品メーカーの丸八工場(現テクノエイト)の再建を契機に、4社の再建に成功。93年6月に東芝傘下のオンキヨーを個人で買収、1年半で黒字経営に転換した。現在、12社の企業集団を率いる。

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雑誌「企業家倶楽部」2001/12月号より転載。
本欄は(株)企業家ネットワーク様のご好意により実現したことを記し、謝意を表させていただきます。


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