ONKYO  ONKYO GLOBALサイトマップ
 製品情報 技術情報 サービス・サポート 会社・IR・採用情報 ダウンロード e-onkyoショップ


プロがプロに聞く経営の話
border
 携帯電話のような創造性のある食品を開発したい
border
Guest 理研ビタミン社長 堺 美保
Host オンキヨー会長 大朏直人


オンキヨー会長 
Host−大朏直人 Naoto Ohtsuki

理研ビタミン社長 
Guest− 堺 美保 Yoshiyasu Sakai

理化学研究所から戦後、食品メーカーとして再出発し、「ワカメスープ」で確固たるブランドを築いた理研ビタミン。そこには人まねをせず、本物をつくるという研究者魂が息づいている。インスタントラーメンをカップに入れたらカップ麺になった。こうした発想の転換が大事だ、と堺美保社長は語る。


■ 捨てられていたものから有効成分を抽出・精製・濃縮 

大朏 理研さんといえばワカメスープが非常によく知られていますね。まず会社の紹介などしていただけますか。
出発点は理化学研究所です。これは1917(大正6)年、皇室御下賜金、国からの補助金、民間からの寄付金の基に日本の産業技術の振興のために設立された、日本唯一の民間研究所でした。理化学研究所で開発した技術を特許化し、その技術を使って製品化する理研産業団ができました。戦後、財閥解体とともにこの産業団も解体され、個々の民間会社として再出発しました。その一つが理研ビタミンで、他にリコーさんはじめ理化学研究所を出発点とするたくさんの企業が活躍されています。理研産業団は当時のベンチャー企業集団と言えるものではないかと思います。
大朏 由緒ある生い立ちですね。研究所には有名な科学者もいらしたとか。
大河内正敏、長岡半太郎、本多光太郎、鈴木梅太郎、仁科芳雄、朝永振一郎の諸博士など日本を代表する科学者を擁して研究活動を進め科学史に残る業績を残しています。理化学研究所で鈴木梅太郎先生が発見されたのがビタミンB1で、タラの肝臓からビタミンAの抽出に成功したのが高橋克己先生です。理研ビタミンはビタミンA部門を引き継いで49(昭和24)年に再構築しました。ビタミンAは魚の肝臓から抽出して精製し、濃縮して作ります。そこから出発した当社のコアになる技術は、抽出・精製・濃縮の技術です。
大朏 濃縮というのは、わかりやすく言うと煮詰めることですか。
そうです。減圧濃縮、真空濃縮という形で効率よく行います。
大朏 ビタミンの会社が、どうして食品分野に進出されたんですか。
抽出、精製、濃縮技術をベースに作られた鯨肉エキスの存在があったからです。60年頃、ビーフエキスの代わりに一部、鯨エキスが使われた時代があたんです。58年頃に現在の日清食品さんのチキンラーメンが出て、それに対して登場したのが別添スープ付きインスタントラーメン、袋麺です。この別添スープを提案したのが理研ビタミンで、相当数のインスタントラーメンメーカーさんが誕生しました。そこから当社は食品に入っていったと思います。63年には、鯨エキスをベースに給食用のスープストックを出しました。これが最初の自社ブランド製品でした。
大朏 では営業もその頃から確立されたわけですね。
そうです。初めて営業部隊が作られました。食品は味のベースが大事です。材料がよくなければいい料理も加工食品もできません。だから自分たちで味のベースになる原料を自ら開発し、活用して商品展開していこう、それには天然調味料の開発を大事にしよう、という方針を立てました。一つはカツオのエキス。カツオブシは、カツオの頭と内臓をとって煮上げた身を焙かんして作ります。その煮汁を「捨てないで、もったいない」と精製し濃縮してエキスにする。これをベースに和風だしの素やめんつゆを作ります。ホタテの素干しを作る工程で出る煮汁を精製・濃縮するとホタテエキスができる。中華料理に使うガラスープのエキスは、豚や鶏の骨から採ります。
大朏 今世界中で少しでも資源をムダにしない方法が考えられているわけですが、御社では昔からやっておられたということですね。それからワカメですか。
魚の肝臓を集めて歩いたわれわれの先輩たちは、浜に友人知人が多く、水産学者の知り合いもたくさんいらっしゃいました。そこにワカメ養殖技術の振興があり、安定した品質、安定した数量、安定した価格でワカメが採れるようになりました。その後折りしも健康ということが言われるようになり、65年に発売した初めての家庭用商品「わかめちゃん」は全国ブランドになりました。これは極めて変わった話なんですね。本来ホウレンソウやキュウリにブランドをつける人はいません。ワカメはブランドがあっても「三陸」「鳴門」という産地ブランドでした。それが「理研のわかめちゃん」ですから(笑)。
大朏 それは生ワカメだったんですね。その後カットワカメを発売された。
そうです。当時、インスタントみそ汁用に加工食品メーカーさんにカットワカメを作っていました。カットワカメは切らず洗わずそのまま使える。これなら保存性もよく全国展開できる生ワカメからと変えていったところ、こちらが主流になりました。
大朏 原料は国産ですか。
日本で食べている約六割が中国産になりました。日本産が約二割、韓国産が約二割というのが日本のワカメの現状です。ワカメ、昆布は大連周辺で養殖が盛んです。中国の人はワカメも昆布も食べませんが、ワカメは日本に輸出するため、養殖されています。昆布はアルギン酸という工業用糊剤を作るために養殖していて、ここからいいものを選別すれば品質の良い昆布もあると思います。
大朏 最近、御社は中国で小豆餡を作っていらっしゃるそうですが、外国では餡を食べないですよね。これはどういう選択だったんですか。
私どもの売上高約630億円のうち、七割が食品、あとの三割は食品改良剤です。主力のモノグリセライドはグリセリンに脂肪酸が一つ付いたものですが、これが食品添加物として認められています。ありとあらゆる世界の食品メーカーさんにお世話になっています。というのは例えばパン生地を練る時に入れると生地が機械に付かない。ふっくら焼き上がってしばらく置いてもボロボロにならない。アイスクリームでは水と油を馴染ませなめらかな食感をつくるのに必要です。それから和菓子ですね。たとえば大福。餅粉はすぐ硬くなります。硬くならないようにする製剤があって、餅粉に入れて大福を作ると冷凍耐性があって老化しない。今までは餅粉として販売していたのですが、それなら中身も内外価格差がある中国の小豆を使おうと天津に工場を設けて年間八千トン、今年中にさらに四千トン分を増設します。
大朏 中国進出にかなり意欲的ですね。
やはり原料があることが大きいのです。モノグリセライドも原料がパーム油なので、マレーシアに工場を造りました。当社の海外進出は人件費が安いからというより原料があるところに進出することを主眼としています。



■ 属人的な営業から科学的な営業へ

大朏
堺社長は東北大農学部を卒業された、典型的な技術屋社長ですね。一研究員だった頃には悩ましいこともいろいろおありだったでしょう。社長になって初めて経営者の言うことも「無理もなかった」とおわかりになったこともあると思いますが。
食品は「混ぜ屋」になりがちです。単に粉と粉を混ぜ合わせてパッキングすればドライスープができてしまう。しかしやはり原料の開発と商品力が一番大事ではないかと研究開発の現場にいた時は、かなり誇りを持ってやってきたわけです。この原料と技術があるからこういう商品を作ったらどうかと提案して、高度成長時代に取り入れられていった。ですから不自由さはそれほど感じて来なかったですね。
大朏
会社に力もあったんですね。社長のポジションに座られてから眺め渡して、いかがですか。
社長になる少し前に営業全般を見ることになって思ったのは、営業というのはずいぶん属人的な仕事だということです。営業部として会社の財産になっているものが少ないと思いました。しかしすべてが暗黙知の世界ということもないだろう、中でも家庭向け商品の営業は特にサイエンティフィックにやらなければと思うんです。
大朏
「サイエンティフィックな営業」というと。
まず市場分析、顧客分析の必要性です。得意先企業はどこにどう力を入れていこうとしているのか、そこに何をどれぐらい販売するか、どれぐらいの売り上げを期待するか、それを具現化する戦略戦術とは何か。営業活動の報告はEメールで行い、その報告に基づいてさらにプラン・ドゥ・シーのサイクルを回していく。これをマニュアル化することです。メーカーには、物を作るための研究所はあっても販売の研究所はないんですね。しかし販売にも技術がある。その認識をしっかり持つことが必要だと思います。
大朏
技術屋さんは「こんなにいい物を作ってるんだから売れないわけはない、売れないのは営業が悪い」と必ず思っている。営業の方は「安くていい物ができないから売れない」と必ず言う(笑)。
まさに今おっしゃったことを、私は先輩の営業部長や役員に言って、「そんなに言うならお前がやってみろ」と言われました(笑)。これは組織的に解決していく必要がありますから、家庭用商品にブランドマネージャー制をしきました。開発部門は「おいしいものを作ればいい」と考える。営業は「おいしいだけでは困る。品揃えを充実させろ」と思う。生産部門は「この空いているラインを活用して営業の商品政策に合ったものを開発が考えたらどうか」と思っている。こうした生・販・開の全体を眺めてトータルにコーディネートしていこうと思っています。
大朏
堺社長のように技術を知って営業をするというのが一番いい方法ですね。
気をつけなければいけないと思うのは、技術屋としての成功体験にあまり固守してはいけないということですね。


■ 携帯電話のような新しい価値を見いだす創造性

大朏
オンキヨーの例ですが、スピーカーにホヤ貝の繊維を使っているんです。繊維が非常に長くて、紙パルプと一緒に入れると低音域のやわらかい、いい音が出る。さまざまな材料を潰して実験して、一番よかったのがホヤ貝だと。しかし私から言わせれば、それは本当に研究なのか。御社もいろいろな魚の肝臓を試して、ビタミンAの抽出に一番いいのがタラとか鯨だった。技術というのはそういうことが多いですね。そういうことを理解できるボスでなければ、たまらないと思うんです。
食品は総合科学ですから、多方面に広く浅く知っていなければならないところがあります。私は携帯電話のような商品開発と言うんです。電話機はダイヤル式からプッシュホンになった時も機能自体は何も変わっていない。携帯電話も、離れた相手と話をするという基本機能は変わっていない。しかし携帯性があるということで生活者のライフスタイルに新しい価値を生み出したわけですね。そういう商品開発でなければ、これから本当の意味で会社の柱になるような商品は出てこないのではないか。メーカーの創造性は芸術家の創造性とは違って、マーケット情報、技術情報、ベースになる知識や技術、そういうものに裏打ちされ商品として具現化されて初めて真価を発揮するものだと思うんです。
大朏
携帯電話のような創造性に富んだ商品開発を食品で考えると、どういうことになりますか。
象徴的なのはカップ麺です。表面的にはインスタントラーメンがカップに入っただけで、あれだけのものになったわけです。コンビニエンスストアで割子そばが売れた。調理麺として容器に入ったことでマーケットが大きくなったわけです。しかし、そこにはそれを可能にする知識と技術が集約されています。
大朏
なるほど、調理上の利便性とか保存性がいいとか。
カップラーメンに、私は日清食品の安藤百福会長の執念を感じます。日清食品さんが味付けのチキンラーメンをつくると、他社が別添スープ付きの袋麺をつくって対抗した。しかしその後カップ麺を最初につくったのも、やはり安藤会長でした。確かに技術はある。しかし基本的なアイデアは麺をカップに入れただけ。なぜ、他社はそれすらも考えられないんだと。だから真似ではダメなんです。今まで家庭用の製品、生ワカメ「わかめちゃん」カットワカメも、ワンタッチでできるレトルトのマーボー豆腐の素もわかめスープ、ノンオイルドレッシングも当社が初めでした。
大朏
これから理研ビタミンをどういう会社にしたいと思っておられますか。
一般的なことですが、強いところをより強く。改良剤のような部品の商材でも、今までより以上にお客様にとってもサプライヤーとして便利に付き合えるといいますか、枠を広げてワンストップサプライヤーとしての機能をもてば、強さの幅も広がるのではないかと思っています。アウトソーシングM&Aも視野に入れて、あまり頑なに考えないでやっていけばいいかな、と考えています。
大朏
強いところというと天然物からの抽出・精製・濃縮技術ですよね。
天然の有効成分から端を発してきた会社ですから、これを強化していけばいいかと思っています。領域としては「心身の健康」に役立つように。海草もただ食べて健康だと言うだけでなく、どんな有効成分があって、何が健康に寄与しているかという研究も進めていく。公立試験研究機関と共同で研究するとか、大学の研究結果をアメリカ並みに活用できる自由度が大きくなってきましたから、研究開発のアウトソーシングを視野に入れながらやっていきたいですね。社員にとっては理研ビタミンにいてよかったとプライドが持てるような会社にしたい。そのためには目的を共有化して、本当の意味で風通しを良くする必要があると思います。
大朏
最近、リッツ・カールトンホテルでオンキョーが採用されたんです。海外で自社の商品に会うのは、非常に嬉しいものですよ。キッコーマンの醤油のように理研さんも、ワカメスープと言ったら世界中で出てくるようにしてくださいよ。
世界に羽ばたく食品となると、われわれには海草があるんですね。ただ食の嗜好習慣は強烈で、しかも保守的です。単に体にいいという訴え方だけでは難しい。ならば天然の有効成分を抽出してサプリメントとして供給するのも一法かと。一方では、急に世界中の人が食べ始めると海草がなくなってしまう(笑)。
大朏
なるほど(笑)。
養殖事業をベースに世界の海草事業を展開していくのも夢ではないかと。サプリメントはワカメそのものを食べていただく前の段階になるかもしれません。
大朏
ますますいい企業にしていただいて、われわれにもいい物を供給していただけるよう、ご活躍を期待しています。


大朏 直人(おおつき・なおと)氏

1941年東京生まれ。
65年駒沢大学文学部卒。
同年4月、ラジオ部品メーカーに入社後独立。電子機器製造の日本電通を設立、社長に就任。85年、自動車部品メーカーの丸八工場(現テクノエイト)の再建を契機に、4社の再建に成功。93年6月に東芝傘下のオンキヨーを個人で買収、1年半で黒字経営に転換した。
現在、12社の企業集団を率いる。
堺 美保(さかい・よしやす)氏

1939年9月23日生まれ。
63年東北大学農学部食糧化学科卒。
同年4月理研ビタミン油(株)入社。
本社工場東京研究課配属。70年草加工場技術グループリーダー。82年本社食品企画室長。88年取締役。食品事業担当。92年常務取締役。95年代表取締役専務。営業部門担当。
96年代表取締役社長。

戻る

雑誌「企業家倶楽部」2001年4月合併号より転載。
本欄は(株)企業家ネットワーク様のご好意により実現したことを記し、謝意を表させていただきます。

 このサイトについて お問い合わせ ユーザー登録 copyright 2008 ONKYO CORPORATION Japan All rights reserved